建築家の視点:記憶と感情に寄り添う空間の色彩
空間の色彩と、私たちの記憶、そして感情
私たちの生活を彩る空間は、単に機能を満たす場所であるだけではありません。そこでの経験や感情、そして記憶と深く結びついています。そして、その空間の印象を決定づける要素の一つが「色彩」であると、私たちは考えています。色彩は視覚に直接働きかけるだけでなく、過去の経験や文化的な背景と結びつき、私たちの内面に影響を与える力を持っています。
今回は、建築家としての視点から、空間の色彩がどのように私たちの記憶や感情に寄り添い、あるいは働きかけるのか、そしてそれをどのようにデザインに活かしていくのかについてお話ししたいと思います。
色彩が呼び覚ます「あの日の記憶」
特定の色彩を見たときに、突然過去の記憶が鮮やかによみがえる、という経験は多くの方がお持ちではないでしょうか。例えば、幼い頃に過ごした部屋の壁の色、旅先で見た鮮やかな風景の色、大切な人からもらった贈り物の色などです。これらの色は、単なる物理的な情報としてではなく、その時の感情や周囲の状況と一体となって私たちの記憶に刻まれています。
建築家は、このような色彩と記憶の結びつきを理解し、空間デザインに応用することを試みます。それは、懐かしい雰囲気を作り出すことで安心感を提供したり、特定の感情(例えば、活気、静けさ、集中など)を喚起したりすることを目的としています。
空間の色彩を通じて「記憶を育む」デザイン
私たちは、既存の記憶を呼び覚ますだけでなく、空間の色彩がこれから生まれる新しい記憶や経験をどのように彩るか、ということにも配慮します。
例えば、家族が集まるリビングの色を選ぶ際に、私たちはその空間でどのような団らんが生まれることを期待するかを想像します。温かみのある色合いは、心地よい会話や笑顔が生まれる記憶を育むかもしれません。子供部屋であれば、創造性を刺激する色や、安心感を与える色を選ぶことで、子供たちの成長と共に積み重ねられる経験を豊かに彩ることを目指します。
オフィス空間においても、色彩は重要な役割を果たします。集中力を高める色、コミュニケーションを円滑にする色、リラックス効果のある色などを適切に配置することで、そこで働く人々の生産性だけでなく、仕事を通じて得る達成感や同僚との良い関係性といったポジティブな記憶の形成をサポートすることが可能だと考えます。
プロが考える「記憶に寄り添う」色彩計画のヒント
では、ご自身の空間において、色彩を通じて記憶や感情に寄り添うためには、どのような点を考えれば良いのでしょうか。建築家としての思考プロセスの一部をご紹介します。
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ご自身の「心地よい記憶」の色を探す: 過去の経験を振り返り、特に心地よかった場所や出来事と結びつく色を思い出してみてください。それは自然の色かもしれませんし、特定の家具や雑貨の色かもしれません。そうした色をアクセントとして空間に取り入れることは、個人的な安心感や幸福感につながることがあります。
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空間の目的と「育みたい記憶」を一致させる: その空間でどのような時間を過ごしたいか、どのような記憶を積み重ねたいかを具体的にイメージします。例えば、リラックスして読書をする空間なら、落ち着いたトーンの色。友人との賑やかな集まりを想定するなら、少し活気のある色を検討するなどです。空間の機能だけでなく、そこで生まれるであろう体験に焦点を当てて色を考えてみましょう。
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単色ではなく「色の組み合わせ」で物語を紡ぐ: 一つの色だけでなく、複数の色を組み合わせることで、より複雑で豊かな感情や記憶を表現できます。例えば、温かい基調色に、思い出の場所の色をアクセントとして加えることで、個人的な物語性を持つ空間が生まれます。プロは、色のトーン、明るさ、鮮やかさの組み合わせによって、空間に奥行きや感情のレイヤーを作り出します。
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素材の色、光の色も考慮に入れる: 色彩は、それが塗られる素材の質感や、自然光・人工光の種類によって見え方が大きく変わります。木や石といった自然素材の色は、それ自体が持つ記憶やストーリーを空間にもたらします。また、温かみのある光の下では色が柔らかく見え、昼白色の光の下ではよりクリアに見えるなど、光の色温度も空間の雰囲気、ひいてはそこで感じる感情や記憶に影響します。
空間の色彩計画は、単に美しい色を選ぶことだけではありません。それは、その場所で過ごす人々の心にどのように語りかけ、どのような記憶や感情を育むか、という人間的な視点と深く結びついています。
結びに
建築家として、私たちは空間の色彩が持つ力を常に意識しています。それは、建物の機能性や美しさを追求するのと同様に、そこに住まい、働く人々のウェルビーイングに不可欠な要素であると考えるからです。
皆様がご自身の空間の色を選ぶ際に、単なる好みに加えて、「この場所でどのような記憶や感情を大切にしたいか」という視点を少し加えていただければ幸いです。プロの視点が、皆様の空間づくりにおける新たなインスピレーションとなれば嬉しく思います。